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ドイツ統一までの道のり

記事

ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日から再統一に至った1990年10月3日までの出来事を振り返ります。

Mauerfall in Berlin
Freude über die Öffnung der Grenze am 11. November 1989© dpa/Picture-Alliance

1989年11月9日
社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー政治局員は記者会見の際、さして重要でもない様子で、ドイツ民主共和国はただちに出入国を自由化すると述べました。その後すぐに、数千人の東ドイツ市民が国境検問所に押し寄せました。建設から28年、壁は崩壊したのです。

1989年11月13日
社会主義統一党のドレスデン支部長モドロー氏が、人民議会より新政府の構築を託されます。数ヶ月前から行われていた月曜デモの横断幕には、「ドイツ、一つの祖国」の文字が見られるようになりました。

1989年12月3日
社会主義統一党の中央委員会と政治局メンバーは、一般党員からの圧力により総辞職しました。

1989年12月7日
円卓会議。党や各組織の新旧メンバーの代表が、教会代表者の司会のもと、国の危機的状況打開の提案を行うため会議を行いました。

1989年12月19日

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)のヘルムート・コール首相(CDU:キリスト教民主同盟)が初めて正式に東ドイツを訪問し、ドレスデンでは熱狂的に迎えられます。「ヘルムート、ヘルムート」「ドイツ、一つの祖国」などのシュプレヒコールが湧き起こりました。

1990年1月15日

デモ隊が東ベルリンの国家保安省本部の建物を襲撃。建物前には10万人のデモ隊が集まりました。

1990年1月28日

東ドイツの新旧の党の代表が、暫定政府の設立に合意しました。円卓会議に参加する市民権運動グループの代表も、政府に加わることになりました。

1990年2月1日
ハンス・モドロウ首相が人民議会で、軍事的中立性と連邦制を基本とするドイツ統一のコンセプトを提言しました。

1990年2月7日
西ドイツ政府は、通貨同盟に関する交渉を東ドイツに直ちに提案する事を決議しました。

1990年3月18日
東ドイツで初めての普通選挙が行われ、CDUをトップにむかえた保守連合が大きな勝利を果たしました。

1990年4月12日

初めての普通選挙で選出された人民議会が、ローター・デメジエール氏(CDU)を首相を選出しました。

1990年4月23日

西ドイツの連立政府は、通貨同盟条約の基本路線に関し合意しました。

1990年5月5日
アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、西ドイツ、東ドイツの6人の外相による、初めての「2+4」外相会議をボンで開催しました。

1990年5月18日
経済・通貨・社会同盟条約の締結。コール首相はこれを「自由で統一されたドイツ誕生の瞬間」としました。

1990年7月1日
通貨同盟発足。東ドイツの通貨は、西ドイツのマルクに切り替わりました。東西ドイツ国境では、出入国チェックは廃止されました。

1990年7月2日
東ベルリンで、東西ドイツの2つ目の条約となる、統一条約に関する交渉が開始しました。

1990年7月16日
コール首相とソ連のゴルバチョフソ連最高会議議長が、同盟関係の問題が解決したと発表。ドイツはそのままNATOメンバーにとどまることになりました。

1990年7月22日
人民議会は、東ドイツに州制度を再び導入する法律を決議しました。

1990年8月23日
人民議会は、10月3日に東ドイツを西ドイツに統合する事を決議しました。

1990年8月31日
東ベルリンで東西ドイツの統一条約に調印。西ドイツ連邦議会と東ドイツ人民議会は9月20日、賛成3分の2でこの条約を承認しました。

1990年9月24日

東ドイツがワルシャワ条約機構から脱退しました。

1990年10月1日
ドイツが完全な主権を獲得。ベルリンに対する連合国の全ての権利は、10月3日に失効することになりました。

1990年10月3日 午前零時
ドイツ国歌が演奏される中、ベルリンの帝国議会議事堂の前に黒赤金のドイツ国旗が掲揚されました。ベルリン市街では数十万人が祝い、ドイツの各都市でもドイツ再統一を祝いました。

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10 Ereignisse zum Mauerfall© AA/Oktober

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