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フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー ドイツ連邦共和国大統領「南ドイツ新聞」寄稿文(2020年5月23日付)
「ドイツ基本法(憲法)は「ドイツ人の愛読書」である ― 全国各地で憲法誕生70年を祝ったちょうど一年前の今ごろ、私たちは誇りと喜びに満ちてこう言ったものです。よく晴れた昼下がり、大統領官邸の庭園で憲法の「誕生日の茶会」を催しました。全国各地から参加した250人の市民が、政治家や著名人とコーヒーを飲みながらドイツにおける民主主義の現状について議論しました。ドイツ連邦共和国設立から70年目、ドイツ統一から30年目の批判的かつ一部自己批判的な討論となりました。(…つづく)
(訳文)
ドイツ基本法(憲法)は「ドイツ人の愛読書」である ― 全国各地で憲法誕生70年を祝ったちょうど一年前の今ごろ、私たちは誇りと喜びに満ちてこう言ったものです。よく晴れた昼下がり、大統領官邸の庭園で憲法の「誕生日の茶会」を催しました。全国各地から参加した250人の市民が、政治家や著名人とコーヒーを飲みながらドイツにおける民主主義の現状について議論しました。ドイツ連邦共和国設立から70年目、ドイツ統一から30年目の批判的かつ一部自己批判的な討論となりました。しかしまた、自信と希望にあふれた交流の場ともなり、未来に向けた多くのすばらしいアイディアが提起されました。こうして、大いに勇気づけられる憲法の誕生日となりました。
あれから12か月が過ぎた今日、多くのことが変わってしまったように見えます。コロナ下で誕生日を迎えた多くの人と同様、今年は基本法の誕生会はありません。それどころか、憲法記念日にあたり、疑問や疑念に満ちた議論が行われています。それは、民主主義や連邦制で、感染症の世界的流行がもたらす諸課題に、強権的な国々がやっているとされるような断固とした対応ができるのか、という疑問であり、感染拡大抑制のための措置で私たちの自由が奪われ続けるのではないか、という疑念です。さらには、基本法は死んだと嘆く人、国家による権力乱用を主張する人、金儲けや不正支配をたくらんで問題を隠し答えを拒む闇の勢力が動いていると主張する人もいます。
大いに勇気をもらった70年目の憲法記念日から1年経ち、小心と不信に陥り、はては破滅を恐れるような局面に私たちはあるのでしょうか。断じてそのようなことはありません!
私たちの民主主義がいかに活力にあふれ、そして民主主義の基本的価値がいかに深く根付き、高く評価されているかはまさに今、現下の危機において如実に表れているところではないでしょうか。連邦政府および各州政府の決定を、私は有意義で節度あるものであったと見ていますが、それでも、その決定のほとんど当日から、活発な議論が展開され、賛否両論が戦わされていることを喜ばしく思います。批判とは、コロナのない時期だけに限定されたものではありません!コロナ危機が、民主主義の試練で、世界中の社会や政治体制を試すものであるならば、多くの強権的支配下にある国々はこれまで、自ら主張する効率性や迅速性の証拠を示しておらず、その必要があるでしょう。対して私たちの民主主義的基本的秩序は、パンデミックにおいても真価を発揮しています。我が国では、皆が一致協力して感染拡大の抑制に成功した結果、つらい制限措置を再び緩和できるようになりました。私たちがこうした全社会的な力を発揮するのは、何も厳しく強制されるからではありません。責任感ある市民による、活力ある民主主義であるがゆえなのです。議会が政府・行政の対応を監督し、独立した司法が、現下のような状況でも誰もが自らの権利を裁判で訴えられる機会を与え、連邦制度が、現在の感染状況のフェーズにおける地域の事情に合わせた対応を可能にする。そうした活力ある民主主義であるがゆえなのです。
確かに私たちは現在、自由権が制約されていることを皆実感しています。これは甚大な制約であり、我が国史上例をみないものです。しかし制約はそれ自体が目的なのではありません。健康と生命を守るためのものです。だからこそ決定されたのであり、だからこそ私たちは耐えられるのです。基本法は、自由と生命をともに重要な保護対象としています。この両者は、対立することもあります。しかし、ある人の基本権の保護には他の人の基本権を保護するために制限が課される、ということは憲法上通常のことであり、それがすぐに自由な立憲国家の危機を意味するわけではありません。私は基本法が、今回のパンデミックで傷を負うことなく、今後も生き続けると確信しています。感染状況が許すようになっても、制限が直ちに解除されないのではないか、との懸念に根拠はありません。そもそも一国の憲法は、71歳でも「高齢」とは言えませんし、それだけでなく基本法をコロナの「ハイリスク群」とみなす必要はないのです。
自由の享受と国家による保護責任は不可分一体であり、両者の間を調整するのが政治の役割です。これは現在、政治が担うべき最も困難な役割であると言えるかもしれません。というのも現下の危機においては、台本も、疫学や法律の対応マニュアルもないからです。私たちは、今もウイルスについて十分に分かっておらず、パンデミックがいつ収束するのかも予測できません。しかし、状況が明確でない場合でも、さまざまな不確実性があるなかでも、政治は、持てる最大限の知識と良心に基づいて決断を行っていかなければならないのです。健康に関する不安と雇用に対する不安の間で、距離をとる必要性と孤立化への懸念の間で、日常を取り戻したい健康な人の願いと病を患う人に対する保護との間で、政治は決断しなければなりません。連邦政府と州政府がこの責任を引き受けていることを嬉しく思います。決断にあたり、常に進歩を続ける学術的知見を参考にし、新たな知識や専門家による勧告の変更にも柔軟に対応していること、実施された措置による社会的・経済的影響を見極め、相反する様々な利害を考慮していることを嬉しく思います。そのような過程において、間違いも起きるのは当然であり、必要に応じて修正をしなければなりません。そのためにも、活発に賛否を戦わせる論戦が必要であり、議会における強力な野党が必要であり、批判的な世論が必要です。政治は、自らの政策を説明し、その正当性を明確にし、必要に応じ新たに比較考量をするよう迫られる状況にあってはじめて、向上していけるのです。
ただし、危機克服のための最善策を模索するこうした格闘は、人々の不安や不満を「上にいる奴ら」への反感をあおるために利用する人々とは無関係です。彼らは、悪意に満ちた発想を議論に織り交ぜることで、民主主義の手続きの意義と正当性への疑いの種をまこうとし、人々が将来について当然抱く不安感を、自らの政治目的の道具として利用します。陰謀説には馬鹿げたものもあるかもしれませんが、無視してはならない政治目的がその背後にあることを忘れてはなりません。これは、選挙で選ばれた国民の代表者、真っ当な報道、民主主義的手続き、科学的知見、理性を貶める試みです。私たちの民主主義に対する攻撃そのものであり、彼らが防衛すると主張する自由に対する攻撃そのものです。基本法の71年目の記念日においても、それ以外の日も、私たちはともにこの攻撃をはねのけていかねばなりません。
信頼なくして民主主義の共同体は機能しません。ドイツの人々は基本法に信頼を寄せています。これが可能なのは、我が国では過去71年の間、基本権の擁護が最優先事項とされてきたからです。これは今日にいたるまで、我が国の民主主義の励みとなっています。憲法とは約束です。現実が約束に追いついていないのであれば、民主主義を標榜する人一人ひとりが、「よりよい状況となりますように!」との願いの実現に向け、協力を求められていると理解すればよいのです。力を合わせれば、私たちはものごとを好転させていけるのです。
これは、71年目の憲法記念日における私の願いでもあります。ともに、我が国の力強い制度と基本的価値を信頼していきましょう。自由で民主的な統合欧州において尊厳と自由を享受していく、という基本法の約束を信頼していきましょう。国内において病を患う人々や危機で苦しむ人々、そして一部私たちよりもはるかに過酷な状況にある欧州の隣人たちと連帯していきましょう。そして何よりも、希望を掲げていきましょう。我が国は、豊かで社会的な経済を有する強力な民主主義国家として、再統一を成し遂げた国として、近隣諸国や世界との友好のもと、今回の危機を迎えました。そしてそのような国として、再び危機を脱することができるでしょう。よりよい状況になりますように ― 私たち自身の手で、よりよい状況を実現していきましょう。