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シュタインマイヤー大統領テレビ演説

Coronavirus - Fernsehansprache des Bundespräsidenten

Coronavirus - Fernsehansprache des Bundespräsidenten, © Bundespresseamt

16.04.2020 - 記事

シュタインマイヤー大統領は2020年4月11日、テレビ演説を通して次のように呼びかけました。
「...今皆さんが毎日実行している連帯を、私たちは今後より一層必要としていくでしょう。今回の危機が過ぎ去ったあと、私たちの社会は以前とは異なる社会になるでしょう。不安や不信感のあふれる社会になってほしくはありません。私たちは、より多くの信頼と、思いやりと、希望にあふれる社会を実現できるのです。(続く)」

(訳 文)


「私たちは分岐点に立っている」

2020年4月11日
於 ベルビュー宮殿(大統領官邸)

市民の皆さん、こんばんは。

あと数時間で復活祭です。自然の中では花が咲き誇り、私たちの外へ出たいという気持ち、そして、家族と、友人と、愛する人々と、ともに時を過ごしたいという気持ちが高まります。

これまでもいつもそうでした。いつもそうしてきました。しかし、今年は全て違います。親を訪ねることができないというのは悲しいものです。また、せめて復活祭のときだけでも孫を抱くことができればと思っていた祖父母の気持ちは相当辛いものでしょう。ほかにも多くのことが例年と違います。公園やカフェの色鮮やかな賑わいがありません。多くの人が待ち望んでいたイースター休暇の旅行もなくなりました。飲食店やホテルの経営者にとっては、晴天に恵まれても晴れやかなシーズンスタートとなりませんでした。信仰を重んじる人々は、教会で祈りを捧げることができません。そして、先行きの見えない「これからどうなるのか」という問いは、私たちの頭から離れません。

よりによって、世界中のキリスト教徒が死に対する生の勝利を祝う、復活の祝祭、イースターに、私たちは自分たちの行動を制限しなければならなくなりました。病と死が生に勝利しないようにするための行動制限です。

何万人もの人々が亡くなりました。私たちの国で、また、ベルガモ地方やアルザス地方、マドリード、ニューヨークその他世界中の多くの場所で多数の人々が亡くなりました。その様子を見て私たちの心は痛みます。孤独に亡くなっていく人々の死を悼みます。そして、最後のお別れを揃って言うことすら叶わなかった遺族のつらさを思います。また、医療現場で命を救う活動に精力的に取り組んでくださっている皆さんへの感謝の念を深くします。私たちの誰もが今、生活全体の激変に見舞われているわけですが、この危機でとりわけ厳しい打撃を受けている人々のつらさを思わずにいられません。病を抱える人々、身寄りのない人々、失業や倒産の心配を抱える人々、収入が激減したフリーランスやアーティストの人々などです。また、バルコニーや庭のない狭い家に住む家庭やひとり親家庭の皆さんの大変さを思います。

今回の世界的感染拡大は、私たちがいかに脆弱な存在かを見せつけています。自分たちは無敵であると、全てはより速く、より高く、より遠くへと発展を続けるのだと、私たちはあまりにも長く思い込んでいたのかもしれません。それは間違いでした。しかしながら今回の危機はそうした誤りだけでなく、私たちの強さも見せてくれました。その強さこそが頼りです。

私たちの国は、この数週間多大な努力を積み上げてきたと思います。未だ危険を取り除くことができたわけではありませんが、すでに今の段階で、皆さんの誰もが生活を根底から変化させ、そうすることで人の命を救ってきたのだと言うことができます。そしてこれからも皆さんは、毎日毎日命を救っていくのです。

筋書きのない現下の危機において、国が強力な行動に出ているのは適切だと思います。連邦と各州の政府関係者は、自分たちがいかに大きな責任を担っているかを承知しており、皆さんには、今後も信頼を寄せていただくようお願いします。

しかし、今後どうなっていくのか、制限措置がいつ、どのようなかたちで緩和されうるのか。これらを決めるのは、政治家や専門家だけではありません。私たち全員が決定に影響を及ぼすのです。私たちの忍耐と自制心いかんで決まるのです。厳しい忍耐と自制心がとりわけ大変に感じられる今のような時期こそ肝心です。

私たちがこうして努力を積み上げてきたのは、何も厳格な強制があったからではないはずです。責任感ある市民一人ひとりが支える、生きた民主主義が根づいているからのはずです。一人ひとりが真実と正論の理解に努め、理性的な判断を行い、正しい行動を実行すると、互いに信頼を寄せ合うことのできる民主主義社会、いずれの人の命も尊重され、いずれの人もそれぞれ重要な役割を担っている民主主義です。看護師から首相まで、学術専門家会議から、見える形、見えない形でそれぞれ活躍する社会の様々な支え手まで、皆が役割を担っています。スーパーマーケットのレジを打ち、バスやトラックのハンドルを握り、製パン工房や農場で働き、ごみ収集に従事する人々、そうした人々皆が社会を支えているのです。

そして、皆さんの多くが、今までのご自分の枠を越えた変化を遂げておられます。このことに私は感謝の念を覚えます。

普通の生活に戻りたいと私たち皆が請い願っていることは、当然私も承知しています。しかし、それはどういうことでしょうか。できるだけ早く昔からの単調な生活や習慣に戻るということでしょうか。

そうではないでしょう。コロナ後の世界は、以前とは別のものになるはずです。そして、どのようになるのかは私たち自身にかかっています。経験から学ぶのです。良かったことも、悪かったことも、今回の危機の日々の経験から学ぶのです。

私たちは、分岐点に立っている。私はこう思います。危機が進行中の今すでに、私たちがとりうる二つの異なる方向性が見えています。誰もが自分のことのみを考え、人を押しのけ、買い占めに走り、自分がほしいものの確保だけはする。そんな世界を目指すのでしょうか。それとも、人のため、社会のために役立ちたいという新たに目覚めた気持ちが、今後も人々の心にとどまり続け、はちきれんばかりの創意工夫と助け合いの精神が今後も維持されるのでしょうか。買い物を手伝ってあげた年配の隣人との交流は続くのでしょうか。レジ打ちの人や小包配達の人に、今後も然るべき敬意を払い続けるのでしょうか。また、看護や介護、食品・生活必需品の供給やライフラインの確保、福祉、保育、学校の現場において、欠かすことのできない働きを担ってくれている人々への然るべき評価について、感染拡大が過ぎ去ったあとも私たちは覚えているでしょうか。また経済的に今回の事態をうまくやり過ごすことができた人々は、とりわけ痛い打撃をこうむった人々の立ち直りに支援の手を差し伸べるでしょうか。

さらに、世界においては、互いに協力してこの事態克服の道を探るのでしょうか。それともそれぞれが孤立し独走する道を選ぶのでしょうか。ワクチンや治療法をより速く開発できるよう、知見と研究成果を共有し、地球規模の同盟を形成することにより、貧しい国々、最も脆弱な国々もその成果の恩恵を受けられるよう図っていくべきではないでしょうか。そうです。この感染症の世界的拡大は、戦争ではないのです。国と国が戦っているわけでも、兵士と兵士が戦っているわけでもないのです。現下の事態は、私たちの人間性を試しているのです。こうした事態は、人間の最も悪い面と最も良い面の両方を引き出します。お互いに私たちの最良の面を示していこうではありませんか。

そして欧州においても最良の面を示していくべきです。ドイツは、近隣諸国が力強く回復しなければ、自らも力強く回復することはできません。ここに青い欧州旗が飾ってあるのには然るべき理由があるのです。ドイツ統一から30年、第二次世界大戦の終戦から75年を迎え、私たちドイツ人は、欧州で連帯を示すよう求められているだけでなく、実際にその義務を負っているのです。

連帯。確かに高尚に響く言葉です。しかし、今誰しもが、まさに自分のこととして、人間の存在に関わるような形でこの言葉の意味するところを経験してはいないでしょうか。自分自身の行動が、他の人の命を左右しているのです。

ですから、この貴重な体験をぜひ大事にしていこうではありませんか。今皆さんが毎日実行している連帯を、私たちは今後より一層必要としていくでしょう。今回の危機が過ぎ去ったあと、私たちの社会は以前とは異なる社会になるでしょう。不安や不信感のあふれる社会になってほしくはありません。私たちは、より多くの信頼と、思いやりと、希望にあふれる社会を実現できるのです。

復活祭とはいえ、あまりにも期待をしすぎでしょうか。しかしこれを実現できるかどうかに、ウイルスの威力は関係ありません。ひとえに私たち自身にかかっているのです。

今後の状況は、恐らく多くの点で楽にはならないでしょう。しかしドイツ人は、そもそも楽な道をあまり選ばないものです。自身には多くを求め、人にも多くを期待します。私たちは、今回の事態においても成長を果たせるはずですし、成長するでしょう。

復活祭のお祝いを申し上げ、皆さんのご多幸を祈ります。思いやりを大切にしていきましょう。

 

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