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ヨアヒム・ガウク連邦大統領 講演会

記事

2016年11月16日、ガウク大統領は早稲田大学において講演会を行いました。

(訳 文)

ヨアヒム・ガウク ドイツ連邦共和国大統領講演

2016年11月16日  於 早稲田大学

鎌田総長、

縣教授、

ご臨席の皆様

本日は、早稲田大学にてお話をするよう、お招きいただき、誠にありがとうございます。早稲田大学は日本を代表する大学の一つであるだけではありません。貴大学では国際的なネットワークを構築しておられ、大変嬉しく思います。ドイツだけでも二十一の大学と提携していることは、極めて特別なことです。今後もパートナー大学との協力関係を大切にし、将来的にさらに強化されることを願っております。

今回は、連邦大統領として最後となるアジア訪問であり、私にとって特別なものです。この旅がこうして日本訪問であるとは、なんと素晴らしいことでしょうか。ドイツにおいて日本は、ドイツの親しい友人やパートナーと呼ぶべき国々の中で、「遠来の友」であると考えられています。少なくとも多くの人々が、「遠来の友」 という名称で開催された日独関係についての展示行事以来、日本をそのようにとらえております。「遠来」とは、海とタイムゾーンが私たちを隔てているからに他なりません。「友」とは、私たちがそれでも価値や優先事項を共有する仲だからです。このパートナーシップと交流の精神が、私の日本訪問の趣旨なのです。しばらくの間、私たちの絆の源泉、そして共通する今後の課題について思いを巡らす旅にお付き合いください。

しかしまずは、日本という近代的かつ繫栄している国の中心であるここ東京に、私がどれほど感銘を受けているか、述べたいと思います。東京は世界都市であり、メガシティーであり、ドイツの日本学者、フロリアン・クルマスが、「都市型生活の幸福」と称しているほど、見事に組織され、安全であり、成長途上の世界中の国が多く手本にしたいと考える町です。昨日、小池都知事と共に都庁の展望フロアから、この町の規模をうかがい知ることができました。東京のスピードとダイナミズムは、中央ヨーロッパからの訪問者を —— それなりの規模を持つ、活力溢れる都市ベルリンから来た者も含めて —— 必ず魅了するでしょう。

もちろん東京は我々の関係においても重要な役割を果たしています。ドイツの財団や、経済関係、研究関係の組織が代表事務所などの拠点を構え、ドイツ語教会、大使館、ドイツ各州の代表事務所もあります。しかしさらに東京には、他国にないドイツの機関、すなわち「ドイツ日本研究所」があります。この研究所は、日本に関するドイツの知の集約・拡大を進めるだけでなく、日本の学術界の重要なパートナーとして、早稲田大学とも緊密な関係を築いています。ドイツ日本研究所は、互いに、そして共に学ぶという試みにおける象徴的な存在なのです。

 我々は、歴史の流れの中で、様々な形で互いに、そして共に学んできました。日本とドイツをつなぐ力として、文化が果たしている役割は欠かせないものです。1855年にパリで開催された万国博覧会をきっかけに、日本の芸術が西洋に紹介され、大きな影響を与え、西洋の芸術におけるジャポニズムを生み出しました。

ドイツでは、この早稲田大学の卒業生でもある村上春樹、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎、ベルリン在住で日本語とドイツ語で執筆する多和田葉子の作品が大変人気があります。多和田葉子は、数日後に著名なクライスト賞を受賞します。日本では、ヘルマン・ヘッセが変わらぬ人気を誇っていますし、また映画監督のドリス・デリエや、写真家のアンドレアス・グルスキーなど、現代のアーチストも知られています。ベルリンのフィルハーモニーで開催されるジルヴェスター・コンサートにいらっしゃる方は、日本の音楽ファンの数に驚かれるでしょう。毎年、このコンサートだけのために、ベルリンにいらっしゃる方も大勢いるのです。

一方で、漫画やアニメなどを通じて、かつてないほど現代の日本文化が世界に広がっています。ドイツでも「コスプレ」大会が開かれ、数千人の若者が参加しています。

今日の午後、私は京都へ移動します。京都もまた、日独の文化と学術交流にとって重要な拠点で、そこで私は「シーボルト賞」を授与することとなっています。この賞は日本の研究者を顕彰するドイツの賞で、今回は、東京でドイツの民主主義を研究されている河崎健教授に授与されます。最後の訪問地、長崎では、1945年8月9日の原爆投下とその犠牲となった大勢の方々に思いを致し追悼することが主要な目的となります。同時に長崎というところは、日本がドイツ、そして西洋と出会った場所であり、日本で最初にドイツ人が活躍した場所であると理解しています。1823年に、若い医師、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが長崎の港から日本に上陸しました。シーボルトは長崎で医師として活動していただけではありません。極めて政治的な役割も果たしました。幕府に対しては国を外に開くよう、ヨーロッパにおいては当時まだ未知の国であった日本に偏見なく好奇心を持って接するよう促しました。今日の我々もまさにこの精神に則っていくことができ、我々を支え励ましてくれる精神だといえるでしょう。

皆様

時折、二国間会議において、日独関係は「良好すぎるために退屈だ」と言われます。ですが、百五十五年前に日本とプロイセンの間に締結された「修好通商航海条約」以来の我々共通の歴史を振り返ると、「退屈」という言葉は一切あてはまりません。明治時代、当初から多くの結びつきがあり、互いに影響を与えあっていた若いプロイセン帝国と、発展著しい日本は、第一次世界大戦では敵同士となりました。その後、第二次世界大戦中は、その後破壊的な結果をもたらすことになる同盟関係を結びました。そして国際社会に復帰し、日本とドイツはそれぞれ経済大国として、そして何よりも民主主義国として発展しました。

しかし一方で、欧米における日本像をかつて決定づけた、そして部分的には今なお残る、歪んだイメージもあります。1990年代以降、ドイツでは日本の停滞という、しばしば誇張されたイメージが広まりました。そこでは、今日の日本がアジアの中で最も豊かな国であり、加えて極めて民主的で平和な国であることが見落とされがちです。我々両国が歩んできた現在にいたるまでの道のりは、驚くべきもので、現在広く認められ、評価されています。

 日独関係が、「自明のもの」、また、「問題がない」とされることをありがたく受け入れたいと思います。順調な時期にこそ、この関係を守り育てる責務を、市民社会、政治家、そして私たちの誰もが担っています。そして我々の絆がいかに重要であるかは、非常時にこそ認識できます。2011年の大地震、津波、炉心溶融という三重の災害時、そして今年の熊本地震の際には、ドイツの多くの市民、教会、ドイツ赤十字、そして各地の独日協会が支援を行いましたし、三年前にドレスデンが大洪水に見舞われた際には、日本から援助の手が差し伸べられました。我々ドイツ人は心から感謝しています。私が聞いたところによりますと、ベルリンの日本大使館の職員の方は、わざわざ休暇を取られドレスデンの援助に参加してくださったそうです。両国の関係を示す、これ以上素晴らしい象徴があるでしょうか。

日本とドイツは、世界第三位と四位の経済大国として、2016年現在、かつてないほどの繁栄を誇っています。両国の教育体制、学術研究体制は高度に発展しており、日本人とドイツ人は高い生活水準を享受しています。それでも、我々は、我々自身の成功が原因となって生まれた多くの問いに直面しています。つまり近代化の痛みです。この先グローバル化はどうなるのか。これまで得てきた成果を維持できるのか。気候変動は我々の生活においてどのような意味を持つことになるのか。デジタル化は我々の社会、会社、仕事にどのような影響を及ぼすのか。少子高齢化はどのような影響を及ぼすのか。多くの人々が、このように問いかけています。

 その中からいくつかの問いを取り上げたいと思います。高齢化社会は、日本であれドイツであれ、まずは問題とされます。しかし、その原因となっているのは、我々の成功の一部なのです。世界中で、日本ほど多くの人々が長寿を期待できる国はありません。またドイツでも健康寿命が伸びています。これらは、我々の文明が達成した成果によって実現しました。経済発展、技術のイノベーション、食生活と住宅状況の改善、老いや病への備えや予防、高水準の医療体制、高い教育レベル、そして労働の身体的負担の軽減などによるものです。

 では、課題についてですが、両国の大都市は、人口増加、とりわけ若くて教育レベルの高い人々を中心とした人口流入によって成長しています。しかし小規模の町や地方では、医療施設を含む必要なインフラをどのように維持すれば良いのかという問題に直面しています。また、社会保障制度が圧迫されています。労働市場や製造現場においても新たな問題が生じています。専門教育を受けた若い労働力を確保するのはますます困難になると予測されています。国民の高齢化が進むと、誰がどのように投資をするのかという点でも変化が起きると考えられます。日本では、スタートアップ企業の三割が、六十歳以上の方によるものだそうです。活躍し続けることで豊かな人生を送りたいと考える高齢者の人々が多くいることを過小評価してはなりません。

 ドイツでは、少子高齢化に対する答えが、日本とは異なっていることがあります。我々は、移民受け入れにも解決の可能性があると考えています。この点に関して、長年の間にドイツ人の考えも変化してきました。1983年当時の連邦政府は、連立協定の中ではっきりと「ドイツは移民国家ではない」と述べています。これは当時多くの有権者の考え方でもありました。今日、ドイツ人の三分の二が、ドイツが移民によって多様化することをよしとしています。移民受け入れによって、少子高齢化の影響も、少なくとも緩和はされると思われます。

 ご存知の通り、昨年ドイツは、暴力的な紛争から逃れてきた大勢の人々を受け入れました。それは、社会を極度に政治化し、世論を分断する出来事でした。新たにドイツにやってきた人々が全員、移民というわけではありません。多くの人々、もしかすると大半が、一時的にしか滞在しないでしょう。しかし、我々には楽観的でいられる理由があります。それは、社会全体の努力と、将来を見据えた移民政策をもって、新たにやってきた人々にもチャンスを提供できると考えているからです。他方、移民の大幅な受け入れに懐疑的な人々、また否定的な人々がいることも事実です。しかし、全体としては、25年前に比べ、受け入れに肯定的で寛容な姿勢がはるかに強まってきています。

皆様

 我々は、少子高齢化の対策として、日本が力を入れている技術イノベーションに注目しています。この点で、ロボット工学の最前線にいる日本ほどチャンスに溢れている国はないでしょう。すでに現在、高齢者や病人のケアを助けるロボットがいます。日本はこの分野のパイオニアで、その経験と、イノベーションに対する意欲そのものから、ドイツは学ぶことがたくさんあります。

 ですから、日本が2017年のCeBIT(国際情報通信技術見本市)のパートナー国になったことを嬉しく思っています。これは、日独の技術・学術協力における大きなチャンスです。産業の発展段階の四段階目を指す「デジタル化」というテーマは極めて大きなテーマで、我々全員にとって重要なものです。デジタル・テクノロジー、ネットワーク化、人と機械のインタラクションに対し強い関心が集まっているのは、これまでも、「自動化」が進むごとに、当初の懸念を他所に、それまで以上に多くの人々がより高度な内容の仕事と雇用を結果として得ることができてきたという歴史的な経験によるものでもあります。しかし我々は、倫理的、道徳的に複雑な問題とも向き合わなければなりません。たとえば、自動運転や人工知能、あるいは情報セキュリティなどです。

 また、労働の世界が複雑になるにつれ、それがいかにかつてないほど広範に職業における自己実現の機会をもたらそうとも、一部、人々のスタンスにおける見直しが必要になってきます。例えば、いつでも連絡がつくようにするなど、働く人に対する要求が高くなってしまっています。その結果、ドイツでは心の病にかかる人が増加し、今では早期退職の最大の理由になっています。労働条件の改善を促進することなどで、政治はこうした問題でも対策を打っていかなければなりません。

 日本とドイツは、変化する労働世界の課題に向き合うための素晴らしい条件を備えています。すなわち、技術イノベーションの能力と、社会的な適応力を備えているということです。というのも適応力の問題は産業の近代化に従来から常に付き物だったからです。インダストリー4.0には、社会4.0も必要なのです。我々両国は、単になすべきことを指示されるような国ではありません。どのような社会をつくるべきか、皆で議論を行う国なのです。両国は法治国家であり、表現の自由が支配しているので、懸念や不安が等閑視されることはありません。民主的な選挙もそうしたプロセスの一つです。ですから、日本とドイツは、今日の緊急の課題、とりわけこうした変革・近代化に伴うリスクと向き合う用意ができていると言えるでしょうし、自由が制限されている他の国々より対応する力があると願っています。

 これまでの外国訪問において、私は近代化に対する様々な対応を見聞きしてきました。例えば、今年三月に訪れた中国ですが、私は、中国の経済的成功に敬意を表しますし、現地でもはっきりそう伝えました。しかし同時に中国では、民主的で開かれた社会の良さを訴えました。多元的に組織された社会でなければ、個人が自由に発展し、そのもてる能力全てを社会全体のために発揮することなどできないからです。

 開かれた社会に内在する力、すなわち公正な利害調整と活発な市民社会の力が、我々が楽観的な展望をもつ理由です。ときおり意見を対立させても議論し、検討を重ねます。それはしばしば、骨が折れ、時間がかかりますが、この努力が最終的に我々を強くしてくれるのです。

皆様

 私は船乗りの家庭に生まれ、故郷はバルト海沿いのロストックです。この夏、毎年開催される「ハンゼ・セイル」という船舶祭に、初めて日本の海上自衛隊の船も参加するという記念すべき出来事がありました。

 これは象徴的な出来事でした。日本とドイツは、共に資源は少ないものの輸出大国であり、とりわけ海上交通路、貿易航路の自由な航行、そして規範や拘束力ある規則に基づく国際秩序に依存しているからです。しかしながら、我々が尊重し、支えるこの秩序は、相当の圧力にさらされるようになりました。新たなテロの脅威、新たなナショナリズム、そしてよりによって保護主義と外部との隔絶がこの21世紀に繁栄をもたらすという誤った考えがこの秩序を脅かしているのです。ヨーロッパでは国際法に反する国境の変更、すなわち併合まで経験させられることとなりました。こうした事態は、我々の大陸の平和秩序を脅かすものです。一方、アジアにも懸念材料がありますし、中東では戦争が止まず、その結果、世界の難民数が第二次世界大戦終結時以来の数となりました。さらにこの戦争は、既存の国際機関と規範を通じた危機への実効性ある対処の難しさを我々に知らしめました。

 全体的に民主主義を批判する者、それどころか敵対視する者が増えており、それは欧米諸国においても見られる傾向です。我々は、自由主義対反自由主義、民主主義対独裁体制という、理念の優劣が問われる競争を目の当たりにしていることを認識しなければなりません

 日本とドイツは、近年、自らの利益のためにも、国際的により多くの責任を担わなければならないという認識に至りました。いかにその認識が重要であったかは、最近私たちに突きつけられたいくつかの試練が示しているところです。もちろん、これまでにも両国はすでに大きな貢献を果たしてきました。危機を予防し、紛争に対応する際に、我々の力は何度も証明されてきましたし、両国の開発協力における貢献は大きく、多国間協調主義を推進する姿勢は明確です。また、国連と、既存の国際機関の活動を常に建設的に支援することを自らの課題として課しています。そして、日本とドイツは素晴らしい協力体制で、連続してG7の議長国を務めました。

 日本とアメリカ、ドイツとNATO(北大西洋条約機構)という我々の同盟関係は、両国の安全保障にとって依然として決定的な重要性をもっています。そうした中、日本がNATOのパートナーであることは歓迎すべきことです。たとえば、NATO主導のアフガニスタンでの活動に対する日本の支援や、南スーダンと、アフリカの角での海賊対策における日本の貢献などが挙げられます。

 それでも、安全保障政策に関しては、我々自身の安全のために、より一層の行動が必要になっているのです。そしてすでに行動には着手しています。日本もドイツも、変化する情勢の中、自らの役割についての政治的、社会的議論を進めています。

 今日の我々の安全保障の概念が、価値に根ざしていることは、我々の流血の歴史の結果でもあります。日本とドイツが自らの歴史から学んだ教訓は、我々は平和と国際法を推進する、というものです。その際、常に予防と外交が優先されます。国際社会が外交では不十分だと判断するような究極的な事態、非常事態があり得るという認識は、日本の社会にとっても、ドイツの社会にとっても容易なことではありません。しかし、人権が侵害され、それが大量殺戮や、人道に対する犯罪に至るとき、我々の歴史が行動しない理由に使われてはなりません。こうした理由全てから、私は日本とドイツの間で、安全保障に関するさらに活発な対話が行われることを望んでいます。変化する世界情勢に基づく対話、そして我々の多くの共通点に基づく対話を望んでいます。

 そしてとりわけここ日本においては、もう一つの教訓が加わります。核戦争の恐怖は二度と繰り返されてはなりません。だからこそ、我々は共に拘束力のある不拡散ルール、軍縮、そして軍備管理の強化のために力を注ぎます。日本とドイツはこの点において、今後も先駆的役割を果たしつづけるべきでしょう。そして、地域全体の脅威である北朝鮮に対して、国際社会は絶対的な結束を示さなければなりません。

 日本とドイツの外交における決定的な特徴は、我々が国際法遵守を標榜していることで、それは同時に信頼性の源でもあります。第二次世界大戦終焉から四年の間に、日本国憲法とドイツ基本法の成立があっただけではなく、国連憲章が発効し、一般人権宣言も策定されました。

 つい先頃、ハンブルクで国際海洋法裁判所が二十周年を迎えました。この裁判所は国際法の開花期に設立され、日本人が所長を務めたこともあります。

 国際法によって獲得されてきた成果を揺るぎないものにし、さらに充実させることを、両国は重視しています。ですから私は、国際刑事裁判所との協力を当初から拒んできた国を含め、同裁判所に非協力的な国が増えていることを憂慮しています。大量虐殺、重大な戦争犯罪と人道に対する罪を罰することも、依然として国際社会の役割です。

 共通のルールを持ち、それによって予測可能性が担保されるということは、最も力のある国々を含む全ての国にとって有益です。そのために、我々は、二国間、多国間、国際法の枠組の中で解決を目指すべく、粘り強い対話と不屈の意志で臨んでいきます。

 目指す方向性は、領土をめぐる対立が、安定、そして場合によっては平和自体を脅かしかねない東シナ海、南シナ海においても、同じでなければなりません。アジアにおける安全と安定は、ドイツとヨーロッパの関心事でもあります。世界における我々の民主的パートナーを支援することは、基本的にドイツ外交の指針です。また、正当な経済的利益を、私たちが掲げる基本的価値と両立する形で追求することが重要です。

 とりわけ我々ドイツ人にとって、何があろうとも平和的で、国際法に基づく紛争解決を求めていくことは、戦争とホロコーストから導きだされた歴史的な責務なのです。この恐ろしい歴史との真摯な取り組みがドイツ社会の中に浸透するまでには、長い時間がかかりました。しかしこのように可能な限り開かれた形で自らの歴史、自らの過ちと犯罪に向き合うことは、我々が隣国と和解するには、その決定的な前提として必要でした。過去の様々な出来事を経て、ドイツとフランス、ドイツとポーランドが、パートナーになり、同盟国になり、友人になり得たということは、歴史的僥倖です。欧州連合内に不安を抱える時期においてこそ、この素晴らしい成果は、ヨーロッパ人にとっても、世界の他の地域の人々にとっても希望の印です。

東アジアにおいても、知られている様々な困難があってもなお、勇気づけられる政治的な前進が見られており、相互理解を促進するような市民社会のプロジェクトがあります。和解と理解の一歩一歩が大切なのです。これは今後も変わりません。

皆様

 いわゆるアジアの価値観と民主主義は相容れるのか、という問いは、私のアジア訪問において常に傍らにありました。この数日間、私が体験している日本という国は、こうした文化相対論を見事に覆すものです。歴史的に神道、仏教、儒教の影響を受けてきた国であると同時に、安定した民主主義国家になった国であり、活発な市民社会が息づいています。一方で、私の国と同様、様々な大きな課題に直面しています。皆様、自由と平和のため、日本とドイツの価値に基づくパートナーシップを更に拡大していきましょう。

 私は皆様、とりわけ若い皆さんに、ぜひ世界に出て行かれるよう、促したいと思います。ぜひヨーロッパに、ドイツにいらして、我々の大陸、そして私の国を知ってください。こうした交流に、やり過ぎということは一切ありません。こうした交流は常に、自分を豊かにしてくれます。最後に、日本を訪れたこともある哲学者、ヘルマン・カイザーリング伯爵の言葉を引用して締めくくりたいと思います。

「自分自身に通じる近道は、世界周遊である」。

 ありがとうございました。

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