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ヘルムート・シュミット元首相の逝去 メルケル首相談話

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へルムート・シュミット元首相が2015年11月10日に96歳で亡くなりました。メルケル首相は次のように談話を発表しました。「私は今日、ハンブルクから伝えられたヘルムート・シュミット元首相の訃報に接し、多くのドイツ人と同様悲しみに暮れて います。今、このとき、元首相の伴侶の方、そしてご息女のご心痛はいかばかりかと思わずにいられません。お二人には、衷心よりお悔やみを申し上げます。悲 しみを乗り越える力を持たれ、故人の充実した人生の回想がそのお心の慰めとなりますよう衷心より祈っております。・・・」(続く)

Altbundeskanzler Helmut Schmidt
Altbundeskanzler Helmut Schmidt© Thomas Koehler/photothek.net

「私は今日、ハンブルクから伝えられたヘルムート・シュミット元首相の訃報に接し、多くのドイツ人と同様悲しみに暮れています。今、このとき、元首相の伴侶の方、そしてご息女のご心痛はいかばかりかと思わずにいられません。お二人には、衷心よりお悔やみを申し上げます。悲しみを乗り越える力を持たれ、故人の充実した人生の回想がそのお心の慰めとなりますよう衷心より祈っております。

ヘルムート・シュミットの名を、ハンブルク市民を超えてドイツ人に広く知らしめたのは、愛する故郷ハンブルク最大の緊急事態でした。1962年当時ハンブルク市の内務大臣を務めていたシュミットは、決断力と持ち前の自在な対応力を発揮し洪水災害に対処したのです。まだ幼い少女だった私は両親と、当時住んでいた東ドイツで文字どおりラジオにかじりついていました。ハンブルクの祖母や叔母が心配で仕方がなかったからです。今もそのことを、そしてシュミットはこの事態を乗り越えてくれるに違いないと信じていたことをよく覚えています。これがヘルムート・シュミットに関する最初の、そして非常に鮮烈な私の記憶です。あのとき以来ドイツ人は、いかにもハンザ都市ハンブルクらしい歯に衣着せぬ物言いをし、自然な威厳が備わった政治家シュミットを高く評価するようになりました。

今思えば、こうした評価と敬意が、何十年か経つと私たちの元首相に対する深い敬愛の気持ちに変わっていったことが分かります。その飾り気のなさや強い責任感にも人々は敬服しました。ヘルムート・シュミットは、このドイツ連邦共和国の政治における特別な存在でした。私自身にとっても重要な存在で、その助言と判断は価値あるものでした。約一年前にも、私はハンブルクのお宅で長い時間元首相とお話しすることができました。このことは決して忘れないでしょう。

ヘルムート・シュミットは、1974年から1982年にかけドイツ連邦共和国首相を務め、わが国のため多くの成果を挙げました。1970年代に発生した一連の国際テロやドイツ国内のテロ事件は厳しい試練でしたが、彼の確固不動の姿勢があったおかげで乗り越えられたのだと思います。ヘルムート・シュミットがかつて国際政治の舞台で行った重要な問題提起は、今日もその影響を見て取ることができます。たとえばNATO二重決定の議論における主張、欧州通貨制度実現をはじめ欧州統合の推進に向けた尽力などです。とりわけ欧州統合推進の重要性は今なお変わっていません。

今日、各国首脳がG7やG20の会合に集まっていますが、これらはそもそも今からちょうど40年前、当時のヘルムート・シュミット首相がフランスのジスカール・デスタン大統領とともに初の経済サミットを開いたことに端を発しているのです。つまり、私たちがその死を悼んでいるのは、サミット外交の生みの親の一人でもあるのです。

私は今日、ヘルムート・シュミットの働きに対し、またハンブルクの政治家として、複数の政権における閣僚として、ドイツの首相として、そして独立不遜の思索家・評論家として長い人生で達成された数々の成果に対し、深い尊敬の念を改めて感じています。故人はわが国のために多大な貢献をしてくれました。そのことを私たちは決して忘れません。」