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アインシュタインの来日100周年記念

Representatives of the embassies in front of the artwork

Representatives of the embassies in front of the artwork, © German Embassy Tokyo

14.03.2022 - プレスリリース

アルベルト・アインシュタインの誕生日に合わせ、米・独・イスラエル・スイス大使館がアインシュタインの国際交流及び学術交流への貢献を称える

今年はアルベルト・アインシュタインの来日100 周年に当たります。アインシュタインの旅行日記を基に、ドイツ大使館はマンガライブペインター内田慎之介氏とともに、アインシュタインが過ごした日本での日々を大使館の外壁にマンガを描いて再現しました。

アルベルト・アインシュタインの誕生日に合わせ、クレーメンス・フォン・ゲッツェ駐日ドイツ大使が、アンドレアス・バオム駐日スイス大使、レイモンド・F・グリーン在日米国大使館首席公使及び駐日イスラエル大使館の代表者とともに外壁を飾るウォールアートを鑑賞し、国際交流、そして学術交流におけるアインシュタインの功績を称えました。

ドイツ生まれのアインシュタインは、アメリカやスイス、さらにはイスラエルと強いつながりがありました。スイスの大学で学び、その後も長年にわたりスイスに住み続けたアインシュタインは、ナチスが政権を掌握した後、1933 年に渡米し、二度とドイツに戻ることはありませんでした。その後もアメリカに残り、生涯を研究に捧げました。終焉の地となったアメリカでアインシュタインはすでに取得していたスイス国籍に加え、アメリカ国籍を取得しました。生前アインシュタインは一貫して国家としてのイスラエルを強く支持し同国の学術機関を支援しました。

各国大使館はアインシュタインによる国際理解や学術交流への貢献を次のように評価しています。

クレーメンス・フォン・ゲッツェ駐日ドイツ大使

アインシュタインは、理論物理学の分野のみならず、国際理解や世界平和に多大な貢献をしました。

1922年の来日はアインシュタインが日本に滞在した唯一の機会でしたが、旅についての詳細な記録は日本の社会や文化がいかに深い印象を残したかを物語っています

レイモンド・F・グリーン在日米国大使館首席公使

ワシントンにある米国科学アカデミーの敷地の南西、リンカーン記念館とホワイトハウスの間に位置する場所にアルベルト・アインシュタインの巨大なブロンズ像があります。この像は、アインシュタインの生誕100周年を記念して1979年に建てられました。銅像はアインシュタインの最も重要な学術貢献である三つの概念を要約した数学的方程式が書かれた紙を持ち、足元には天体図が広がっています。記念碑は、暗雲に包まれたヨーロッパとの対比として、広い空へと開かれた空間に設置されています。数多くの記念碑が立ち並ぶこの町で、一際静かにたたずむこの記念碑は、謙虚さを表しており、それはアインシュタインの人柄とも重なります。銅像が腰掛けているベンチにはアインシュタインの最も有名な言葉が刻まれています。

『私は選択できる限り、市民の自由、寛容、そして法の前にすべての市民が平等である国にのみ生きるでしょう』

壁画や銅像が映し出すアインシュタインの科学、国際協力そして教育への貢献は、これからも私たちにインスピレーションを与え続けるでしょう

バラク・シャイン駐日イスラエル大使館報道官

アインシュタインは常に、社会正義、教育、知的機能の発達など、ユダヤ人が重んじる価値観に従い生きてきました。彼は自らの名声を利用し、ホロコーストでヨーロッパから逃れてきたユダヤ人たちをアメリカに入国させるための宣誓供述書を、当局に止められるまで出し続けました。アインシュタインが掲げた価値観は、近代のイスラエルに大きな影響を与えたエルサレム・ヘブライ大学の創立にも顕れています。自らの考え方や視点をイスラエルの教育制度に反映させることで、アインシュタインは「発見」「開発」「革新」の文化的重要性に大きな影響を与えました。アインシュタインは科学や物理の先駆者であっただけでなく、その影響は社会全体にまで及んだのです。アインシュタインのビジョンと彼が残したレガシーは今日のイスラエル社会に受け継がれています

アンドレアス・バオム駐日スイス大使

「アルベルト・アインシュタインは1895年、大学への進学のためにスイスに渡り、物理学と数学で学位を取得した後、1901年にスイス国籍を取得します。卒業後はベルンに移り住み、「アインシュタイン奇跡の年」で知られる1905年に革新的な4つの論文を発表し、相対性理論の研究にとりかかります。アインシュタインはその後チューリッヒに戻り、世界各国の若手研究者たちの育成に従事します。その一人が理論物理学者の石原純であり、石原は後にエッセーにて、「偉大なる大先生」が日本の学生から東洋について知りたがっていたこと、科学にとどまらず、広い意味で人間文化にも強い関心を寄せていたことを綴っています。世界中の様々な人や文化を「分け隔てなく」理解し、享受しようとしたアインシュタインは、今も私たちにとって模範的な存在であり続けます」

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